あーとびる麦生ブログ

あーとびるの日々の出来事等を伝えるブログです。

あーとびる麦生 誕生物語

あーとびる どうやって誕生したの? という質問に今日はお答えします。

 出生数が減り、生徒数が減りあちこちで学校の閉鎖・統合がされるようになっていた。久慈市でも2004年4月、久慈農林、久慈商業、久慈水産の3高校が統合されて久慈東高校が誕生した。閉校になった建物の再利用が検討されているとき久慈市大川目町出身で千葉県在住の大森良三画伯から美術館の構想が提言されたがその実現への道筋は描かれないまま時は過ぎていった。
 それから5年、2009年3月で侍浜町麦生小中学校が閉校されることになった。学校は閉校記念の美術作品を残そうという計画をたて、市内の現代アート作家である熊谷行子をその指導者として招聘した。
 熊谷は閉校になるというその校舎を目にした瞬間「久慈の美術館はここしかない」と思った。田舎町では実現不可能かと半ばあきらめていた夢が実現するかもしれない。その熊谷の夢を支える人たちの輪が広がった。そして2010年1月「あーとびる麦生」が組織化されこれに賛同する画家たちと市民と行政との協力で同年5月16日オープンに漕ぎ着けた。寄贈された200点を超える作品は訪れる人たちからは満足を超えて驚嘆したと言う感想さえ寄せられている。土日だけの開館だから始まってまだ開館日数は20日であるが来館者数は631人となった。陸の孤島といわれた交通不便なかつての僻地指定校。「1日に一人も来ない日もあるんじゃないの」とも言われもしたのであったが。
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