あーとびる麦生ブログ

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災害とアレン


バプテスト久慈教会

久慈市の町並みの一角を見下ろす高台に、バプテスト久慈教会が清楚な姿でたっています。1996年の建立だからまだ新しいです。アレン教会とも呼ばれていますが、そのアレンとはタマシン=アレンのことです。

タマシン=アレンは1890年アメリカのフランクリン市に生まれました。1915年バプテスト教会婦人宣教師として来日してから東京、仙台、塩釜、平、盛岡、遠野、松尾鉱山、気仙高田松原などを経て1938年に久慈市に居を移して、伝道、教育、医療、産業(酪農)と救済活動に献身し、1976年、85歳で久慈の土に還りました。

この教会が昨年発行した彼女の生誕120年記念誌と、アレンの伝記(A Treasure To Share:1964年米国出版。アレン74歳の時)を教会のご好意で読ませていただきました。

アレンは、岩手沿岸の町や村を三度にわたって慰問・救援に歩いています。一度目は冷害凶作の1932年。翌1933年は三陸津波のあと。1960年にはチリ津波のあとです。この3回の他にも久慈地域は1958年の集中豪雨水害と、1960年のフェーン現象火災に襲われ、アレンは救済援助に奔走しています。文字通り地球の反対側から日本に来て、「一番困っているところ」を選んで定住し、災害救済に明け暮れたことになります。

3月11日の地震津波が襲ってきたのは、私が前述の2冊でアレンの生涯を辿っている時でした。防ぎようのないほど膨大な自然のエネルギーに畏怖するばかりです。しかし人びとは、破壊され、打ちのめされても立ち上がって生きてきました。精霊となった120歳のアレンはもう慰問・救援に歩いて行くことはできませんが、今後10年、20年、人びとがたくましく再起していく姿を見守っておられることでしょう。そこは、自分が何回も足を運び、神の愛を届けたところなのですから。

アレンは1959年久慈市名誉市民に推戴され、アレンの生地フランクリン市と久慈市は1960年に姉妹都市となりました。1963年、ケネディ大統領の命によりライシャワー大使が慰問のために訪問。1968年には日本国から勲四等瑞宝章を授与されました。